散らかした部屋にきみがいる

8:リーハ
空き部屋/溶ける/鈴

 事務から預かっていた部屋の鍵を使って扉を開けた瞬間、テレンス・ノースモアは、その散らかり具合に眉を顰めた。テレンスは几帳面で綺麗好きな男だ。もちろん自室は清潔で、整理整頓が行き届いている。お菓子の屑を食べ溢したり、服を脱ぎ散らかしたりする同居人はいるが、その都度叱って片付けて、部屋の秩序を保っている。
「うわ~、きたな~い!」
 テレンスの自室の秩序を乱す者、同居人のアンジェロ・ベッリーニは、常日頃の自分の所業を棚に上げて、ころころと鈴を転がすような愛らしい声で笑った。
「お前のスペースも、私が片付けなければこうなっていたところだぞ」
「そうかな? 俺様、もっと丁寧にお部屋使ってるよ!」
 テレンスがマスクに三角巾、エプロンと汚れる前提の完全防備をしているのに対して、アンジェロは普段着のフリルがついたピンクのスカートを着ている。掃除なんて全くやる気がないらしい。テレンスは溜息をつく。
「いいか、お前は座って待っていろ。服を汚したら、洗うのは私なんだからな」
「わかった~。お片付け終わるの、待ってるね~」
 本当はこれもお前の仕事のひとつなのだが、と思う。口には出さない。やらせない、と決めたのは、テレンス自身だ。それも『彼のお気に入りの服を汚したくない』という、自分自身の理由のために。甘いな、と自覚はしている。けれど、つい甘やかしてしまう。惚れた弱みというやつか。
 テレンスはとある組織に属する職員だ。『ヒトならざる』犯罪者たちを取り締まることが本職で、部屋の片付けなどは言ってしまえば雑用なのだが、職員みんなで使用している寮の管理も仕事のうち、手が空いた者が任される。テレンスはたまたま暇そうだったという理由で雑用を押し付けられた、いわば被害者である。しかし真面目な彼は、雑用であろうと真面目に引き受けて、真面目に取り組んでいる。真面目さを見込まれてと言えば聞こえは良いが、体よく使われることも少なくはない。アンジェロは、テレンスのそんなところをいじらしく、尊く、愛らしいと思っている。
「ねえねえ、この部屋、なんでテリーがお掃除してるの? 前のお部屋の持ち主は、どこに行っちゃったの?」
 アンジェロが無邪気に訊ねると、テレンスは一瞬渋い表情を浮かべて、すぐに素っ気なく答えた。
「どこにもいない」
「どうして?」
「殉職したからだ。死んだんだ。だから別の者が片付ける。空き部屋は次の新人が使う」
「死んだ……そっかぁ。殉職……殉職、かぁ……」
 アンジェロは、組織に属して十年ほど経つ。当然これまでに、組織に属する職員たちの殉職なんて、何度も見てきた。関わりを持った人間が死んだことだって何度でもある。仲がよかった友人も、何人も死んだ。けれど、こんなにも心臓がうるさくなって、不安になって、どきどきするのは初めてだ。もしかして、と思う。自分のバディも、いつか。
 ポケットから飴玉を取り出し、掌の上に乗せた。いつの日か、テレンスから貰った飴玉だった。
「テリーもいつか死んじゃうの? 殉職しちゃうの?」
「何?」
 テレンスは、はたきを振りながら、怪訝そうな顔をした。
「このキャンディが、溶ける前に、答えて」
 アンジェロが飴玉を口に入れるのを見送ってから、テレンスは不機嫌そうに答えた。
「死なん。私がそう簡単に死ぬと思うか。柔な鍛え方はしていない」
「本当? 俺様が良いよって言うまで、死んじゃだめだからね」
「言うのか? 許してくれるのか、私が死ぬことを」
「許さないよ。だからね、ずっと、死んじゃだめってこと」
 口の中で飴玉を転がす。甘い味がする。テレンスがくれる言葉も、愛想はないけれど、甘い味がする。
「じゃあさ、逆にね、俺様が死んじゃったら、そのときはテリーが俺様の部屋の荷物をお片付けするのかな?」
 主のいなくなった荷物をゴミ袋に放り込むテレンスの、手際の良さを眺めながら、アンジェロは何気なく訊ねた。
「今みたいに、ぽいぽいってしちゃうのかな。それとも、何かひとつくらいは、取っておいてくれる?」
 それなら、お気に入りのぬいぐるみがいいな。それなら、きっと俺様だと思って、大事にしてくれそうだから。
 楽しそうに笑うアンジェロの言葉を聞いて、テレンスは、不意に作業の手を止めた。ゴミ袋をぞんざいに放り投げて、アンジェロに怒った顔を向け、唇を引き結んだ。
「棄てない。俺には、棄てられない。何ひとつ、お前のものなど」
「えっ」
「お前のいなくなった後、お前の痕跡が、欠片でも減ることに、俺は……私は、耐えられないからだ」
 口の中でぱきりと飴玉が砕ける。思わず噛んでしまった。あっと思う暇もない。テレンスの瞳は真剣だった。
「……だから、先になど逝くな。部屋が片付かないから」
 ぶっきらぼうに後ろを向いて、再び作業を始めたテレンスに、アンジェロは、何も言葉を返せなかった。
 ただ、口の中に甘い味だけが、いつまでも残っていた。