「あ、銅さんだ」
足元に落ちる赤色の影を見つけて空を仰ぐと、人間のような肢体を持ったカラス頭のエコーが、電線の上で羽を休めて僕を見下ろしていた。
「なんだニンゲン。気安く呼ぶな」
そっぽを向かれた。嫌われてるのは知っている。彼は人間嫌いなのだ、僕のともだちと同じく。
それでも話しかけると隣に降りて来てくれるのだから、彼は優しいひとだ。おひと好しなのかもしれない。人じゃなくて、ヒトでもなくて、ひと。性格の話。ニンゲン嫌いなくせにおひと好しなのも僕のともだちと同じく。
だから僕は彼の優しさに甘えてわがままを言う。
「代わりにあなたが僕の名前を呼んでくれると言うのなら、僕の方からはあなたの名前を呼ばずにいてもいいですよ」
「……」
呆れた顔をされてしまった。
「だめですか?」
「だめだ。お前などニンゲンで十分」
交渉失敗。まぁ、わかってたけど。
「前はうまくいったんだけどなぁ」
「うまく? 名前を呼ばせたのか?」
「いいえ、そのときは。……彼の名前を気安く呼ぶのを許されたという意味です」
彼の羽毛に覆われた顔に憐れむような色が滲んだ。
「お前がよく言う『彼』とは」
「僕のともだちのことです。彼もエコーですよ。あなたよりもニンゲンに似ています」
「……そうか。お前の友達とやら」
銅さんが言葉を濁す。ゴニョゴニョと口ごもってから、僕の目をじっと覗いた。
「はい。なんでしょう?」
「随分、押しに弱いと見た」
「わかっちゃいますか!」
銅さんの評価をとても気に入った僕は、思わず頬を緩めた。
「わかるとはなんだ。まさか事実なのか?」
「えへへ。彼はですね。なんというか、可愛らしくて」
「可愛らしい」
「ああ見えて、自己主張がちょっと苦手みたいで」
「ああ見えてと言われても、どう見えるかは知らんが」
「見たことないですか? とっても綺麗なひとなんですよ」
「なんだ、惚気か」
銅さんが露骨に渋い表情を浮かべた。
そんな嫌そうな顔しなくたっていいと思うんだけど。
「彼は綺麗で優しいエコーで」
「まだ聞かされるのか?」
「だからついつい無理を通してしまうんですよね」
普段は、僕が彼の言うことを聞く側のつもりで振る舞ってるけど、薄々気がついている。わがままや意地悪を言うのは、彼ばかりではない。
むしろ僕が良くしてもらうことの方が多いくらいだ。僕は彼が強く断らないのを知った上で物事を頼む。残念ながら、僕は、ずるい人間なので。
「甘えるっていうのは、こういうことなんですかね」
「……そうだな。だが、私とそいつは、別のエコーだ」
やれやれと首を振りながら、銅さんが溜息をついた。
「唆されてやらないぞ」
「つれないですねぇ」
「お前にはお前の友がいるだろう。そして、私には」
彼はずずいと指を一本、僕の額に突きつける。触れた感触はないけれど、なんとなく気圧されて、僕は背中を反らす。
「私には私の、だ。唆されるのならば、……いや。皆まで言うまい」
ふ、と小さく嘴の端に微笑みが浮かんだ。悪戯っぽいような、はにかむような微笑だ。
「……なんだ、惚気ですかぁ」
聞いてるこっちが照れくさいような、面映いようなむず痒さ。と言っても不愉快ではない。心地よい擽ったさだ。
「帰ったら、聞かせてあげてもいいですか?」
「あいつにか?」
「はい。銅さんが、友達になら名前を呼んでも、呼ばれてあげてもいいって言ってましたよって」
彼はぱちぱちと目をしばたたかせて、小さく首を傾げた。
「そういうことになるのか?」
「僕はそう聞こえましたよ」
「……いや。言わないでほしい」
「あ。照れてるんですか?」
からかうつもりで投げた言葉は、彼のゆるりと首を横に振る動作に否定されてしまった。
「そういう大事なことは、自分の口から伝えるべきだ。……そうだろう?」
そう言う彼の眼差しがあんまり優しく穏やかだったから、僕は、微笑みながら黙って頷くことしかできなかった。